酵素バイオテクノロジー

富山県立大学工学部
生物工学研究センター教授  
浅野 泰久

1. はじめに
バイオテクノロジーとは、生物そのものや生物の機能を人間の言葉で説 明できるように科学的裏付けを得ながら、それらの力を直接的にまたは模倣 して人類のために利用しようとする技術のことです。最近、バイオテクノロ ジーという言葉が定着して来ましたが、随分前からバイオテクノロジーが人 類と共にあったことがわかります。約6,000年前、日本の縄文人が酒の原料と なる木の実を集めていたと考えられる遺跡が発掘されたことが新聞で報じら れています。また、エジプトやメソポタミアの古代文明の遺跡に酒やパン作 りの絵が残っているように、人類は古来から盛んに微生物を利用してきまし た。このようなバイオテクノロジーには酒、味噌、醤油、酢、漬物、チー ズ、ヨーグルト等の食品類の生産技術があります。

2. 微生物を利用するバイオテクノロジー
第二次世界大戦頃から積極的に自然界から微生物を分離するようにな り、微生物の代謝の変異株の誘導、大規模な生産技術、遺伝子組換え技術等 を用いて、食品となるアミノ酸、核酸、有機酸、医薬品となる抗生物質等の 多種類の生体構成成分の発酵生産技術が確立されました。発酵法とは、微生 物の生命活動により安価な原料から食品、医農薬の原料、飼料、化学薬品等 を生産する手法を言います。1970年代になって、遺伝子組換え技術が進歩 し、インターフェロン等のヒト由来のたんぱく質が大腸菌を用いて生産され るようになりました。このように、発酵法は著しい発展をとげ、バイオテク ノロジーの基幹をなすに至っています。

3. 酵素とは
発酵法と共にバイオテクノロジーを代表する技術として、酵素法があり ます。酵素は生体を構成する物質の生合成や代謝に関与するたんぱく質であ り、6種類に大別されます。最近、従来から知られているたんぱく質酵素を、 "Protein Enzyme"、抗体触媒(Catalytic Antibody)を"Abzyme"、RNA触媒( RNA Enzyme)を"Ribozyme"とも呼ぶこともあります。

通常の化学反応が強酸、強アルカリ、熱、圧力等において激しい反応条 件を必要とするに対して、酵素の反応は、温和な条件下において進行し、公 害がなく省エネルギーに役立つ極めて優れた性質を示すので、分析、食品製 造加工や工業用に広く利用されています。例えば、酵素を加えると化学反応 が約105〜107倍も加速されたり、1 グラムの酵素が数百キログラムもの生産物を作 ることもまれではありません。微生物は増殖も速く、取り扱いが容易で、酵 素を得るには最も適した生物です。酵素を菌体内に大量に作った微生物を樹 脂に埋め込んでバイオリアクターとし、連続的に生成物を得る方法が使われ ます。酵素法により、各種の生体物質や化学薬品等が工業的に生産されてい ます。我が国においては、医薬原料のp-ヒドロキシ-D-フェニルグリシン、L DOPA、パント酸、基礎化学品であるアクリルアミド等の生産法が独自に確立 されています。

4. 微生物酵素の開発と利用 ー現状と課題ー
石油生産量は2010年にピークを迎え、2070年頃には枯渇すると言われて います。消費材を次々と作り替えことを目指した20世紀の科学者に は、環境の保全や地球資源の再生が 人類の危機を回避することが緊急課題になることなどは、念頭 にありませんでした。微生物や酵素を用いる物質転換法 は、有害な物質の使用や発生を抑制した化学、「グリーンケミストリー」の 中でも最も重要な手法 の一つといえましょう。

20世紀後半、それらは、上記のようにいくつかの工業的製造法に適用された のみならず、有機合成化学の一研究分野としても確固とした地位を占めるに 至りました。これらの反応は温和な条件下に行われ、化学産業が最も必要と する、環境に優しく省エネルギーである特長を備えており、従来の化学合成 法の不得手な点を補いながら、この21世紀においても極めて重 要な実用化研究の課題であります。

我々は、主として微生物が触媒する新規生化学反応の利用による省エネ ルギーの物質生産プロセスの確立を目的に研究を行っています。そのために は、新規反応を触媒する酵素が必要とされ、高い比活性、優れた安定性、そ して高い生産性等が要求されます。酵素触媒を合成ステップに組み入れるた めのアプローチは、未知反応を触媒する微生物や新規酵素を目的 に応じてスクリーニングにより求める方法と、既知酵素の未知の触媒作用を 合成基質を用いて開発する方法に大別されます。我々の研究手法は主として前者であり、新しい微生物の分離、同定、酵素の精製と酵素化学的諸性質の検討、遺伝子組換えによる酵素の大量発現、一次構造の解明、酵素の改変、基質の有機合成、および酵素を合成プロセスに組み入れるための総合的な研究を行っています。

近年、一旦見い出された酵 素がより望ましい性質を示すようにチューニングする手法に種々の進展が見 られます。化学変異源を用いて遺伝子に変異を与え、実用化のレベルにまで 酵素の耐熱性を上げた研究例もあります。また、培養不可能な微生物等の遺 伝子ライブラリーを PCRを用いて作成し、目的に応じて検索する方法や、い くつかの類似の酵素遺伝子から、「DNA シャッフリング」法等を用いて、ラ ンダム変異を与えたり、多数のキメラ蛋白質のライブラリーを作成し、耐熱 性や改善された基質特異性をスクリーニングする方法も注目を集めていま す。これらは、「進化分子工学」と呼ばれる研究の一側面であり、我々も我々が開発した数種類の新しい酵素の性質を遺伝子レベルから改変し、工業的にも利用可能な酵素として劇的に変化させることに成功しています。

微生物は、多様な化学反応の触媒能を有し、地球の物質循環に大きな寄 与をしています。従来にない新しいタイプの酵素反応を微生物に見い出すこ とは、酵素を合成反応の触媒として組み込むための最も重要で現実的な方法 です。 我々は、集積培養や馴養培養により天然界より分離した各種の「化学 的極限微生物」に新反応を触媒する酵素を効率良く見い出し、酵素化学研究 を行うと共に、合成等への応用を展開しています。筆者らが初めて結晶として取り出した、新酵素フェニルアラニン脱水素酵素は、我が国において、新生児の遺伝病フェニルケトン尿症を検出するための分析素子として実用化され、新生児の30%以上の血液が我々の酵素を用いて試験されています。また、我々の見出したD-アミノ酸アミドに作用する一群の酵素は、基礎的に新しい酵素群であるばかりでなく、各種の光学活性アミノ酸誘導体の合成に有効であり実用化が待たれています。

筆者は、京都大学において、ニトリル化合物の微生物分解は、従来から知られていたニトリラーゼによるカルボン酸とアンモニアへの直接分解の他に、新しく発見命名した「ニトリルヒドラターゼ」とアミダーゼの関与により中間代謝物として 酸アミドを経て分解する経路が存在することを、Arthrobacter sp. J-1株 ( Rhodococcus rhodochrous J-1株)において初めて証明しました。次に、土壌 より分離したPseudomonas chlororaphis B23株やArthrobacter sp. J-1株 ( R. rhodochrous J-1株)は、400 g/liter 以上もの高濃度のアクリルアミドの定量的な合成を効率よく触媒し、アクリル酸の副生を伴わないことを発見しました。筆者が分離した上記の菌は、その後改良を経て、アクリルアミド(年産12,000トン、三菱レイヨン)、ニコチンアミド(Lonza)および5-シアノ吉草酸アミド(DuPont)の工業生産に用いられており、微生物酵素が基礎化学品の転換にも利用できることを示した、まさに画期的なグリーンプロセスとなりました。今や 最も重要な産業用酵素の一つになったニトリルヒドラターゼについて、遺伝 子構造の解析や鉄を含む酵素のX線構造解析等も行われ、美しい構造が明らかになっています。

研究開始当初は、まれな酵素と考えられたニトリルヒドラターゼですが、その後の研究から微生物界における分布が広いことがわかって来ました。最近、我々は、新 規微生物酵素アルドキシム脱水酵素を用いるアルドキシムからのニトリル合 成に成功しました。本酵素を初めて単離し、酵素化学的研究を行った。ま た、微生物界において、アルドキシム脱水酵素とニトリルヒドラターゼ等の ニトリル分解酵素は連関して存在することを発見しています。

5. おわりに
有機合成化学者にとっては極めて単純な合成基質であっても、それらが 微生物と出会う時、それぞれ多種多様な興味深い生命現象を示します。ま た、従来の有機合成では不得手でも、酵素反応ならば容易に行える反応も 種々見い出すことができました。このように、今後、変換を受ける基質は合 成基質が主流となり、スクリーニング対象としての微生物の母集団は、保存 菌から「化学的極限微生物」へと拡大されるでありましょう。微生物酵素の 多様性の一端を切り開く手法として、「化学的極限微生物」の分離と利用は 有望と考えます。このようにして得られた酵素を遺伝子レベルで改変するこ とにより、「地球にやさしい」優れたグリーンプロセスへと発展させること ができましよう。酵素利用技術は、21世紀に予想される地球レベルでの危機 を回避する新しい研究および産業の一つとしてますます発展するものと思わ れます。




研究の具体的内容(Research titles, 目次(簡略))

研究の具体的内容(Research, whole view, 総合(まとめて長文としたもの))